古くからの友人から写真入りの年賀状を貰った時に「うわっ、こいつ老けたな」って思う人いませんか?
私にもそういう友人が一人います。まだ四十代なのに「今年還暦です」と言わんばかりの雰囲気を醸し出しちゃったりしてて目を疑いました。
人は誰しも年を取るので、年を取るのは仕方がないとしても、老け込んでいくのは嫌ですし、実年齢を言ったときに「そんなに若かったんですか?!」と驚かれるのも嫌ですよね?
どうせ言われるなら「えっ、そんなお年だったんですか?」と見た目より実年齢が上だという方がいいと思います。
私はどちらかと言うと、若く見られる方ですが、まあ、謙虚に年相応と言っておきましょう。
では、同い年なのに、私の友人は年齢がかなり上に見えるのに対して、私は年相応に見えますし、中には実年齢よりも若く見られる方もいたり、人によって違うのはどうしてなのでしょうか?
食生活や習慣によって見た目の違いが出るというのもあるでしょうが、その人の意識が、過去か未来か、どこに向いているのか、というのも一つの原因のようです。
武士道や、あるいは私の世代だと五千円札で知られている新渡戸稲造がこんなことを言っています。
「いたずらに過去を顧み、その仕事を計算するのは、すでに衰えた兆候である。このような人は、年こそ若くても、青年と称することはできない。(新渡戸稲造著、丹羽 宇一郎監修「修養 自分を磨く小さな習慣」三笠書房)」
「過去になした仕事を数えれば数えるほど、年を取るのである。(同著)」
なるほど。
自分がやってきたことを振り返って、自己肯定感の向上につなげたり、将来につなげていったりするのはいいと思うのですが、それで満足してしまい、下手な達成感に浸ってしまってはいけないということなのでしょう。
会社を経営しているであれば、過去を振り返って「私はこれだけ成功したんだ」などと思うようになったら、要注意。老けてきた証拠ですよ。
ましてや、飲み屋などで過去の自慢をしているようだとさらにまずいですよ。自分で自分を老けさせてしまっています。
では、老け込まないためにどうすればいいかというと、過去に目を向けるのではなく、将来に目を向けることです。
新渡戸稲造の言葉を借りるとこういうことです。
「将来なすべき希望豊富に富み、かつこれを断行する希望と元気のあるものが青年(同著)」
「青年はこれからの理想に富んでいる者ではければならない。(同著)」
会社を経営しているのであれば、この先どうしていこうかということを考え続けることでしょうね。というか、会社経営者は基本的には先のことを考えているので、当たり前のことを当たり前にやればいいということだと思います。
より意識的に先のことを考えるようにすればいいんでしょうね。
考えることはできるだけ先のことがいいと思いますね。今期のことだけではなく、2年先や3年先、あるいは、理想とするビジネスモデルなど。
ちょっとだけ先の未来ですと、目の前のことに追われて逆に先が見えなくなるという本末転倒なことも起こってしまいますので、できるだけ先の方がいいのかなと思います。
あるいは、人生観とかライフスタイルなども考えるのもいいでしょう。
個人的には、人間力を高めていく、という目標を持つのが一押しです。人間力を高めることにゴールはないからです。影響に追い続けることができる目標だからです。
目の前の目標に追われることないので先が見えなくなることがなく、常に遠くを見ることができるからです。
人間力の高い人になるというのは、表現としてはわかりやすいけど、具体的にはピンとこない。でも、目指すことはできる目標です。
そういう理想を持つことも新渡戸稲造の言う青年なのかなと思います。
青年であり続けるために、老化を防ぐために、人間力の高い人になるという高い理想を持って日々過ごしてはどうでしょうか?