私が定期購読している月刊誌『致知』の中で、私の胸にズシっときた話があったので紹介します。
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺先生が毎月の連載記事としてお書きになっている「禅語に学ぶ」からの紹介です。
横田先生が高校生の頃に伊勢にある合掌園を訪ねられて、そこにいらっしゃった水野秀法師からこんな話を聞いたとそうです。
「善人は罪を作ってしまうのです。私は善人になってしまっていました。善人はね、人を裁いてしまうのですよ(月刊致知2019年5月号)」
TwitterやFacebookなどのSNSを見ていると、意見のやり取りがあるのをよく見かけます。炎上と言った騒ぎになることもあります。
どうも私たち人間は「自分は絶対正しい、自分とは違う意見は間違っている」という思いを持ってしまうものなのかも知れません。自分が正しいという前提で相手を裁いてしまう。
確かに、中には世の中に悪影響を及ぼしそうな内容を言っている人もいます。そういう意見を広めてはいけない、という場合もあります。
そういうのは直してもらった方がいいでしょうし、その意見を見た人に対しても注意喚起をした方がいいでしょうから、そういう意見は批判すべきでしょう。
実は私も一時期やっていたことがあります。ある特定の国会議員の意見について、批判的なコメントをしたことが。
自分と違う意見を見つけて、攻撃すると、なんかいいことをした気持ちになれるんですよね。優越感にも浸れるといってもいいです。
しかも匿名だったり、相手に面と向かって言うわけではないから、こっちは攻撃されにくい。だから、他人を攻撃してしまうんですよね。
横田先生はさらにご自分の言葉でこんなことを言っています。
「我々修行をしていても、知らず気づかぬうちに、自分はこんな修行をしたのだと自惚れてしまう。人を見下してしまうこともある。修行をしたことが、却って自我意識を強くしてしまうこともあるのだ(同)」
さらに「どこまでも謙虚に学び修行してゆかねばならぬと思う(同)」と続けられています。
修行をされているお坊さんですら、こうなのですから、修行をしていない私たちなら、なおさらですよね。
自分だけが正しいと自惚れるのではなく、他人の意見にも耳を傾ける心の姿勢も忘れないように。