仕事でノルマを達成したとき、勝負に勝ったとき、子どもの笑顔を見たとき、おいしいものを食べられたとき・・・
人によって違ってていいのですが、こういうのも幸せだと考えてみてはどうですか、というのを紹介します。
ベストセラーとなった本にあった言葉なのですでに知っているかも知れませんが、こんな言葉です。
「幸福とは、貢献感である(岸見一郎、古賀史健著「嫌われる勇気」ダイヤモンド社)」
短くて、実にシンプル。
「貢献感」を得られれば幸せになれるということですが、では「貢献感」って何でしょうか?
貢献感とは「自分は誰かの役に立っていると「感じる」こと(同著)」です。
前半の「自分は誰かの役に立っている」というところは特に解説はいらないと思いますが、ポイントは後半の「感じること」です。
というのは、「感じること」とは、自分でそう感じれば、それでいいからです。相手がどう思おうかは関係ない。あなたが相手に何かをしてあげて、その人からお礼を言われなかったりしても、それでも構わないんです。
あなたが勝手に思えば、それでよいということです。まあ、相手の反応がないと、その人の役に立ったかどうかがわからないので、難しいところではありますが。
確かに相手の反応があって、役に立ったと感じられるのがわかりやすくていいです。
でも、逆に相手の反応があったことで役に立ったかどうかを判断するとなると、結局、あなたが幸せを感じられるかどうかは、相手次第になっちゃいますよね?
自分としては確かに相手の役に立つことをやったのに、その人が何も反応しなかったら(あれ?役立ってなかったかな?)と疑問に思うはずです。
確実に相手の役に立つことをその人にやることができたとしても、その人からしてみると、たまたまタイミングが悪くて、お礼を言えなかったかも知れません。
違うことに意識を向けていて、たまたま気付かないかも知れません。とても悩んでいたとか、そもそも恥ずかしがり屋でお礼を言えなかったとか、ということも無いわけじゃないでしょう。
なので、人の役に立てたかどうかを感じるのに、相手の反応があったかどうかで判断するのはやめていいんじゃないかということです。
私自身も普段から心がけています。たとえば
・お客さんからの問い合わせメールに素早く返信して、その返事がなくても気にしない
・妻に頼まれた買い物をして、何も言われなくても気にしない
・車の運転中に道を譲って、相手からの反応が何もなくても気にしない
ようにしています。
あ、3つ目はウソです。道を譲って反応がないと完全に気にします(笑)
気にしないように心がけてはいるんですけど。。。
私もまだまだなので、相手の反応があろうとなかろうと、人の役に立ててよかったと思える心を養っているところです。
人の役立つことをできたときに、相手に認めてもらえれば、それはそれで嬉しいことですが、あくまでも結果論です。自分の主観として、自分勝手に「誰かの役に立っている」と思えることが大切なのです。
何かをするときに「認めてもらおう」という思いを持たずに、ただやる、そういう思いでやってみませんか?
そうすれば、あなたが幸せかどうかはあなた次第になりますよね。あなた自身の幸せをあなた自身で感じられるようにしましょう。